定額残業代の意義
病院やクリニックなどでは、医師に対する給与を年俸制としており、 一定の基準を満たす時間以外の時間外労働の割増賃金は、年俸制に含まれると扱っています。
割増賃金を年俸制に含む取扱いは、どのような場合に有効になるでしょうか。
時間外労働、法定休日労働および深夜労働については、原則として、実労働時間に応じて割増賃金を支払う必要があります。
しか し、割増賃金について実際に時間外労働等が生じるか否かにかかわ らず、毎月一定額を支払うことにしているケースがあり、このよう な定額残業代についても、法定の割増賃金を上回っていれば適法と扱われてきました。
ただし、定額残業代を採用する法人等の中には、少額の定額残業代を支払うのみでその他の割増賃金は一切支払わず、無制限に長時間労働等を強いるといった誤った運用をしているケースも少なくなく、近時の裁判例は定額残業代の有効性を厳しく判断する傾向にあ ります。
定額残業代の裁判例上の有効要件は、大きく分けて次のとおりとされています。
明確区分性
定額残業代が有効となるためには、時間外労働等に対する割増賃金であることが、他と明確に区分されていることが必要とされています。
定額残業代については、法定の割増賃金を上回る必要がありますが、それを確認するためには、どの部分が定額残業代なのかを判別する必要があるためです。
たとえば、定額残業代でよくあるケースとして「○○手当には時間外労働手当を含む」との記載のみがある場合もありますが、これではどの部分が定額残業代かを判別することができず、有効要件を満たさないことになります。
近時の裁判例の傾向を踏まえると、リスクを小さくする観点から、定額残業代については、金額と対応する時間外労働等の時間数についても明示しておくべきと考えられます。
差額支払いの合意
「定額残業代が有効となるためには、労基法所定の金額(または就業規則所定の金額)を下回る場合、その差額を当該賃金の支払い時期に精算するという合意が存在するか、あるいは少なくとも、そうした取扱いが確立していることが必要とされています。
近時の裁判例の傾向
近時の裁判例の中には、定額残業代が、時間外労働の割増賃金か、法定休日の割増賃金か等が不明であることを、明確区分性を否定する根拠としたと思われるものがあります。
リスクを避ける観点からは、定額残業代を採用する際には、時間外労働、法定休日労働および深夜労働のいずれに該当するものかも明らかにしておくことが考えられます。
また、近時の裁判例の中には、定額残業代の導入の経緯等に照 らして、定額残業代が割増賃金の実質を有しているかという要素を考慮しているものもありますので、時間外労働等が発生しない労働者にまで定額残業代を支払ったり、それまで異なる性質の手当であったものを突然定額残業代に振り替えたりすることは避けるべきです。
さらに、定額残業代に対応する時間数 が36協定において定める労働時間の延長の限度に関する基準(一 般の労働者の場合1か月45時間)を超えていることを、有効性を 否定する一要素としたと思われるものもあり、固定残業代における 残業時間数の設定にあたっては、原則として45 時間以内にしておくべきです。
定額残業代が無効となった場合のリスク
定額残業代が無効になった場合、まず、割増賃金の計算の基礎賃金に定額残業代を含める必要が生じるため、基礎単価が高くなりま す。
たとえば、月給32万円+時間外労働の定額残業代8万円、月 の平均所定労働時間 160時間のケースであれば、定額残業代が無効になった場合、基礎単価は 32万円- 160 時間 = 2,000円ではなく、 40万円(32万円+8万円) ÷ 160 時間 = 2,500円になります。
次に、それまで定額残業代で支払い済みと扱っていた割増賃金が未払いとなります。
上記例では、8万円を時間外労働の割増賃金と して既払いとしていたところ、支払済の割増賃金は0円となります。
さらに、訴訟等で争われた場合、付加金を命じられるリス クもあります。
このように、定額残業代が無効となった場合の金銭的損失は大き なものになることが多いため、定額残業代の導入および運用には十分注意すべきです。